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ことわざ 慣用句  の 紹介  2012年11月

ことわざ 慣用句  の 紹介 

”日々の気になることわざ 慣用句を日記を通して紹介 ” 気ままな暮らしぶりも併せて載せています。

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だれでも夢をもっている。

愚公山を移すという言葉もあるように、夢は諦めるものでなく自ら掴むものだ。



良いことを言っているようです。



この愚公山を移すという言葉は、どういう意味なのでしょうか?



この言葉は、故事「列子」から伝わったと言われています。




~ 故事 ~



中国に90歳になる一人の老人がいた。


その名も愚公


愚公は、家の目の前にある山が交通の妨げになっていることを知って、この山をどけようと周りの土を運び始めた。


その光景をみていた人は、


「山を移すなんてできっこないのに。 無駄なことをしているよ!!」


とあざ笑ったのだった。


この時、愚公は、


「子々孫々、土を移す作業を行っていけば、いつかは必ず山を移すことを成し遂げられるだろう。」


と言ったそうだ。



これを知った神は、愚公の素晴らしさに感動して、山をよそに移動させた。




という話である。



~ 終わり ~ 




まとめると、



愚公が山を取り除こうと、懸命に努力した結果、見事に山を取り除くことが達成されたというわけです。



このエピソードから、



長い間、一つの目標に向かって努力していけば、どんなに困難なことでも達成できる


といった意味になりました。



愚公山を移すの愚公は、人だったのですね。




この言葉は、自分にとっても、相手にとっても元気の出る言葉です。


知っていて損はないかもしれませんよ!!





小話を一つ (実話)



私は、一発で大学入学を果たしたわけではない。


一度、いや、二度失敗した。


投げ出しそうにもなって、希望の大学を変えようと思ったこともあった。


しかし、友達や家族から、


愚公山を移す」(ここはフィクション)という言葉のように、努力をしろと励まされた。


そして、その励ましもあってか、やっと3度目に見事合格した。


愚公山を移す」ことができた今は、他の人が、「愚公山を移す」ことができるような支援をしていきたい!!


最も、教採に受かってからだが・・・。





















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こんなところで会うとは、奇遇ですね。

ちょっと、父の会社へ傘を届けに行ったところで。まさに、牛に引かれて善光寺参りですね。



普段、あまり使わないこの言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?



実は、これは信州(長野県)の民話が語源と言われています。



~ 民話 ~



昔、善光寺という寺の近くに一人の老女が住んでいました。


その老女は、非常に意地が悪い人でした。


あるとき、老女がいつものように川で洗濯をしていると、牛がやってきました。


なんと、その牛は、布をツノにひっかけて走っていったのです。


慌てた老女は、その牛を追いかけていきました。


牛は善光寺の中へ入り境内へとたどりつきました。


老女も境内へとたどりつくと、牛はいつの間にかいなくなって、急に本尊が輝きだしたのです。



それを見た老婆は、


「なんてすばらしい。こんなに近くに素晴らしい霊場があったとは!!今までずるいことばかりやっていたわたしをお許し下さい!!」


それからというもの、毎日参拝をするようになり、親切心をもって人に接するようになった。





という話です。




まとめると、


① 牛に誘われることで、善光寺という思いがけない場所へ行った。


② 牛を追うことによって、自分の過ちを正す(よいことに巡りあう)ことができた。




ということです。





このことから、



① 人に誘われて思いがけないところにいくこと


② 人に誘われてよいことに巡りあったりすること




といった意味になりました。



http://www.spacefan.net/minwa/zenkoji01.html 


(民話のアニメーションです。)





小話を一つ (想像話)




上司と部下は仲良しだ。


いつも、2人で一緒に帰っている。


部下が「いつもと違う道を帰ろう。」と言って、帰ってみると、普段、見慣れない素晴らしい風景を目の当たりにした。


牛に引かれて善光寺参り」だね・・・。


上司は言った。


すると、部下は起こった。


「私は牛ではないですよ!!!モオー!! 善光寺でもないし、ただの道じゃないですか!!! 疲れてるんじゃないですか!!」


上司は黙った・・・・・・・・。






















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この設計では、まだ完成とは言えないな。

仕上がりに、画竜点睛を欠いているような気がする。




普段、あまり使われないこの言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?



これも情景をと言いたいところですが、字の意味がさっぱりわかりません。



実は、中国の「歴代名画記」という故事から生まれた言葉と言われています。




「画竜」:絵の中の竜


「睛」 :瞳(ひとみ)のこと


「点睛」:瞳を描きいれる



ということを前提に故事を見てみてください。




~ 故事 ~


中国に絵を書く名人がいた。


その名も張僧繇(ちょうそうよう)!


彼は、寺の壁に2匹の竜の絵を書いた。


しかし、瞳は描かなかった。


人々が不思議に思って尋ねたところ、


「瞳をかくと、本物の竜になってしまう。」

と言ったそうだ。


仕方なく、実際に瞳を書いてみると、


その絵の中の竜は本物の竜になって、天に飛び去ってしまった。


という話です。




絵の中の竜(画竜)に瞳を描きいれる(点睛)という最後の仕上げによって、実際の竜になった(完成した)ということです。



逆に言えば、実際の竜になる(完成する)ためには、絵の中の竜(画竜)に瞳を描きいれる(点睛)という仕上げが必要なのです。



このことから、


画竜点睛:物事を完成させるための最後の大切な仕上げ



という意味になりました。



つまり、画竜点睛を欠くとは、「画竜点睛」を「欠く」ということなので、



物事を完成させるための最後の大切な仕上げが欠けている



といった意味になりました。



語源を知っていると面白いですね!!








小話を一つ (想像)



「よし、あと一歩で完成だ。」


ドミノをつくっている人たちの会話だ。



どうやら、大掛かりの仕掛けも、あと一歩のところまで来たようだ。


だが、肝心の100ピースが抜けており、今の状態では、画竜点睛を欠くといったところだ。


そんな時に、足が少し触れて、


「ガタガタガタ・・・」


一気に崩れてしまった。


肝心の100ピースがなかったため、倒れても何の絵かわからなかった。



それでも、何度も立ち上がって挑戦した。



そうして、見事、完成したのだ。



実際に、その場所が倒れてみると、



きれいな竜があらわれた。



100ピースが無かったときに倒れても何もわからなかったが、今は倒れてみるとはっきりと竜の絵があらわれた。



まさに、画竜点睛という言葉がぴったりの出来事だったようだ!!





















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彼は、友達もいなくて一人で砂を噛むような毎日を送っている。




なんか悲しい話ですね。



この言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?



実際に、情景として思い浮かべれば、自然と意味がみえてきます。



砂を噛んでみると、じゃりじゃりとして何の味わいもしませんよね。



このことを生活になぞらえて、



何の面白みもなく味気ない(つまらない)




といった意味になりました。



慣用句は、情景を想像することで、だいたい意味がわかってきますね。






小話を一つ


砂を噛むような毎日を送ってはいけない!!


確かに人にとっては、そうかもしれませんね。


砂を食べる「なまこ」にとっては、決してつまらないという意味ではないかもしれませんね!!















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あの権力者に反発すると、うちの企業も危ない。

長いものには巻かれろというじゃないか。



今でもこのような業者と政治家の癒着はあるのでしょうか・・・。



閑話休題、いったい、この言葉はどういう意味なのでしょうか?



これも語源ががわかれば、自然と意味がわかってきます。



そもそも「長いもの」とは、何のことなのでしょうか?



実はパオーンです!!



間違えました(^_^;)。


象の鼻のことです。


この慣用句は、中国の伝説が由来と言われています。


この伝説を簡単に紹介します。



(伝説)

猟師が象の鼻に巻き上げられて運ばれていると、獅子が目の前に現れました。


そこで、猟師が石弓で獅子を倒しました。


お礼をこめて象は、猟師を自分たちの仲間の墓場へ連れていってくれました。


すると、そこには象牙がたくさん埋まっており、猟師は大もうけしたという伝説です。





つまり、象の鼻に巻かれていないければ、猟師は大儲けはできなかったということですよね。


このことから、


権力や勢力が強いものには、反抗しないで素直に従った方があとで得をする


といった意味になりました。


うーん、現実社会では、この言葉通りでないと、うまいこと世渡りはできないのかな・・・。







(小話を一つ) 


少し前に、ムービー○○スでホラーの映画「アナコンダ」(巨大な蛇が出るパニック映画)を夜中にやっていました。


あっという間に人を丸呑みしてしまう恐ろしい映画です。


あれを見ると、身近にいる蛇も怖くなってしまいました・・・。


長いものには巻かれろといっても、アナコンダの場合はあとで幸せが待っているとは思えません。












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コメントをしてくださる方、拍手を入れてくださる方、訪問をしてくださる方、

本当にありがとうございます!!

みなさんの応援があって三日坊主とならずに、ここまで続けることができました。


あらためてブログをやっていてよかったと思いました。


今後ともどうぞ、よろしくおねがいします。





今日は、コメントをくださる方からいただいた意見にあった「他人のそら似」という言葉について紹介します。





他人のそら似というけれど、あなたとうちの上司そっくりだわ。」



この言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?



そら似とはどういうことかがわかれば自然と意味がわかってきます。



そら似とはどういう意味なのでしょうか?



実は、「似る」に「空」という字がくっついたものなのです。

つまり、そら似 ⇒ 空似 と書きます。



「空」を接頭語として用いると、



① 何となく          例 空おそろしい

② 偽りの           例 空涙

③ しても効果がない      例 空だのみ

④ 真実の関係(確か)ではない 例 空耳




といった意味合いをもちます。  (辞書を参考にしました。)



空似というのは、④の意味合いをもちます。



このことから、


空似 : 確かではないが似ている


という意味になります。




確かではないとありますが、何が確かではないのでしょう・・・。


ここで他人が活躍します。


他人とは、血縁関係がつながっていない人のことですよね。


つまり、血縁関係が確かではないということです。




以上のことをまとめると、


血縁関係が確かではない他人であるのに似ていること


といった意味になりました。



ちなみに、血縁関係が確か(身内)で似ていることは、「生き写し」と言います。




うーん、奥が深い!!!!




架空の小話を一つ




私はホテルの受付嬢である。


受付嬢にはいろいろな客がやってくる。


「丁寧な説明ありがとう。」


という感じのいい方もいれば、


「はよー、電話せえや!」


という モンク マンもいる。


「今日もcuteだね!」


ルー○○か!とつっこみたくなる方もいる。


そんな私のところに、ほぼ同じ所にほくろがある人が2人やってきた。


「「あのすみませんが、これを部屋へもっていってくれませんか?」」


発生も同時である。


「お先にどうぞ!!」


「そちらこそどうぞ!!」


ダチョウ○○部か!!


結局、ほくろが少し低い位置にある人を先に対応しました。


他人の空似とはいえ、いろんな意味でよく似ていたなあ。」



















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(架空の話)

夫:きれいな女性が降りてきたかと思うとお前だったのか。夜目遠目笠のうちとはこのことだ。

妻:失礼だわ。


非常にマイナーなこの言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?



これも情景を考えてみると意味がわかってきます。



夜目:夜に見ること


遠目:遠くから見ること


笠のうち:雨が降った時にさす傘ではなくて、かぶり笠の中を見ること




これだけでは、何を見るのかわかりません。



対象を女性と捉えることが大切です。


つまり、


女性を夜に見たり、遠くから見たり、かぶり笠の下から覗いて見たりすると、実際より美しく見える


といった意味です。





女性にとっては、多少皮肉っぽく感じることわざかもしれません。


次の文をみてください。




「お前、夜目遠目笠のうちという言葉が似合うほど美人だな。」


と言われても、言われた女性にとっては、


「普段は綺麗じゃないのか・・・。」


ということになります。


男性は決して褒め言葉では使わないようにしましょう。


(何のための言葉だ!!)(自分ツッコミ)







(架空の小話を一つ)



夫:「ただいま」

妻:「お帰りなさい。御飯を温めて食べてね。」


確かにご飯はおいてある・・・。

おかずは・・・と言いたいところだが・・・。

自分で冷蔵庫からつまみをだして食べればいい・・・。



文句を言おうとしても言えない・・・。



嫁(ヨメ)を遠目で見た時の寝顔の可愛さをみると・・・。










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彼は二つ返事で承諾した。


さて、これは、どういう意味でしょうか?


私は調べる前は、二つ返事をするから、「はいはい。」と嫌嫌ながら返事をすることかと思いました。


しかし、実際は違いました。


二つ返事とは、「はい、はい。」とためらうことなく二度返事をするということから、


快く依頼を引き受けること


という意味が正しいのです。


「はいはい。」を一言とみなすか「はい、はい。」を二言とみなすかといったように、区切れの点の違いがあるのかもしれませんね。



日本語って面白いですね!!





小話を一つ



上司から仕事を引き受けた彼は、

「はい、はい。」

二つ返事で承諾した。

上司からは、

「「はい。」は一回だと教わらなかったのか?」

と言われた。

彼は二つ返事のつもりで言ったのだろうが、上司には受け入れてくれないようだった・・・。


実際は、「はい。」は一回でないと、嫌嫌に感じられるのが普通だ。


だが、二つ返事の語源を考えると、どちらの主張も納得するような気もするが・・・。





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社長は武芸を磨くためなら、たとえ年下であってもいとわない。

最後には、三顧の礼を尽くして、その年下の達人に弟子入りしたそうだ。

(架空です。)


あまり聞きなれない言葉ですね。



この言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?



実は、「三国志」に深く関わりがある言葉なのです。





三国時代(魏・呉・蜀)に、蜀の大将である劉備は、偉大な軍師を求めていました。


そんな中、諸葛孔明という方が優れているという噂を聞き、諸葛孔明を軍師にすべく、劉備(大将)が自ら家を訪ねました。

一度目・二度目と諸葛孔明に会うことができませんでした。


これだけ失敗したら、諦めてほかの人を当たるのが普通だと思いますが、この劉備は諦めませんでした。


そして、3度目の訪問でついに諸葛孔明と合うことができ、礼を尽くしたところ、軍師として引き抜きに成功しました。




このエピソードから、



目上の人物がある人物に対して何度も礼をつくして頼むこと


といった意味になりました。




ちなみに、諸葛孔明はこのあと、「天下三分の計」などの策や「赤壁の戦い」で活躍をします。



(天下三分の計)


国土を三つに分割して、魏の曹操(そうそう)・呉の孫権(そんけん)・蜀の劉備(りゅうび)の三人で中国を支配する一時的な策。

最初のうちは、強大化した魏や勢力が衰えない呉を倒すことは不可能なため、ひとまず呉と手を結んでおいて、変事の際に協力して魏を倒し、後に領土を拡大しようという考え。




諸葛孔明は面白いエピソードがほかにもあります。



興味をもった方は調べてみてください。




(小話を一つ)



「野球に参加させてください。」

「こんな草野球チームでは、お前はもったいないよ。」

プロの選手と草野球の監督の会話である。

選手も基本をしっかりしたくて、草野球に参加したいようだ。

三顧の礼を尽くしてようやく、草野球チームに紛れて練習を行うことになった。

選手が振り返ってみると、背番号は・・・

「000」


(意味がわかっただろうか?)













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「おたくの旦那さん、いい人ですね。」

「家ではそうでもないんですよ。破れ鍋に綴じ蓋です。」


あまり聞きなれないこの言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?


これも情景を考えれば、自然と意味がわかってきます。




「破れ鍋」 : ひびがはいっている鍋

「綴じ蓋」 : 修繕したふた



という意味です。



どんなにひびがはいっている鍋にも、そのひびにあわせれば、修繕したふたというのは作れますよね。



このことを人間の男女関係にたとえて、




① どんな人にもその人にあう配偶者がいる


② 何事にも似通っているものどうしがよい





という意味になりました。


鍋と蓋を人間の関係に用いるとは面白いですね!!





ちなみに、他人に対して使うと失礼です。


例えば、

「お前の奥さん、お前にぴったりだな。破れ鍋に綴じ蓋だよ。」

と相手に言ったら、

「俺は破れていて欠点がある鍋で、妻も同等の扱いか!!」

といったように、言葉に詳しい方は解釈されることがあります。


自分を謙遜して使った方が間違いないでしょう!!






小話を一つ



「カレーをしよう!!」

「わーい。!!」


寒い季節にはぴったりですよね。


料理をさっそく手伝おうと、小型の鍋を出していると、


「おい、この鍋、ふちが破れてるぞ!!」

「蓋を横にずらして綴じれば大丈夫!!」 

「そうだな!!」

そう言って、その鍋を使うことにしました。

具材を炒めて水とルーを入れて30分ほどぐつぐつ煮込んでいきます。


30分後・・・


「できてるかな?」

わくわくしながら中を開けてみると、


「ルーが少ない!!」

水を入れた時はわからなかったが、ちょっとずつ漏れていたようだ。







破れ鍋に綴じ蓋」という言葉通り、この鍋と蓋は両想いとはいかなかったようだ・・・。












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貯金もいっぱい貯めて、余生を左うちわで暮らしたい・・・。




ほとんどの方が、このような思いをもっていることでしょう。



この言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?



これも情景を考えてみるとわかります。




ところで、皆さんの利き手はどちらですか?


ちなみに私は右手です。

世界的に見ると、右利きの方が左利きより多いと言われています。



実は、右利きの方を対象とすることで、初めてこの言葉の意味が見えてきます。



どういうことかわかりませんよね。


簡単に説明します。




1 右利きの方を対象にしてできた言葉

2 「左手でうちわをあおぐこと」=「左うちわ」



を前提で次の話を見てください。




右利きの方は、暑くてうちわであおぐ時、普通は右手であおぎます。


これは、どちらかというと深刻な状況です。



では、「左手でうちわをあおぐ」=「左うちわ」だと、どうなるでしょう。



右利きの方が、左手でうちわをあおぐと上手にあおげません。(中には上手な方がいますが・・・。)

これは、どちらかというと、それほど暑くはなく、余裕やゆとりがある状況です。



このことから、

「左手でうちわをあおぐ」 = 「左うちわ」 ということは、


余裕やゆとりがある 


という意味になります。




このことが転じて、左うちわで暮らすとは、


生活に苦労せず、余裕をもって暮らすこと


といった意味になりました。




この言葉は、相手に対して使うと失礼に当たります。


例えば、

「社長、左うちわで暮らせていいですね。」

これを言われた社長は、

「何の苦労もしてないみたいじゃないか!!」

と思います。

自分に対して言ったほうが無難かもしれませんね。




小話を一つ


よし、貯金を20,000円ずつしていけば、50年後には1,000,000円だ。


左うちわで暮らせるぞ!!


次の1ヶ月後。

よし、貯金を10,000円ずつしていけば、50年後には500,000だ。


そして、1年後・・・。


よし、1円ずつ貯めていけば・・・





























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犯人が今も逃亡中でもきっとみつけるぞ!!

天網恢恢疎にして漏らさずという言葉通りきっちり捕まえてやる!!

警官が自分の意気込みを込めて言っているようです。


それにしても、普段は聞きなれない言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?


これは、「老子」、または、「魏書」の中にある言葉からできたものである。


「老子」:天網恢恢、疎而不失(天網恢恢疎にして失わず)

「魏書」:天網恢々、疎而不漏(天網恢恢疎にして漏らさず)




ですから、天網恢恢疎にして失わずと言うこともできます。



次に意味を考えていきましょう。


天網:悪人や悪事を捕らえるために張る天の網


恢恢:網の目が広い


疎にして漏らさず:粗くても逃さない


といった意味になります。



つなげてみると、


悪人や悪事を捕らえるために張る天の網は広いもので多少粗くても、決して逃さない


となります。


このことから、


悪事を働けば必ず天罰が下る


といった意味になりました。


古典はすごい知恵がありますね。






架空話を一つ




一人の男が森でバーベキューをしていたら、財布を盗まれていたのに気づいた。

あたりをみまわすと、森の中へ走っていく男・・・

「待て~泥棒!!」

天網恢恢疎にして漏らさずだ~。」

そう言って、男は必死に追いかけていった。


「ふん、そんな言葉だけで捕まるものか!!」

泥棒は、振り返りながら独り言のようにつぶやいた。


よそ見をしていたのが災いとなった。


振り返ったとたんにハンモックに正面衝突して、身動きが取れなくなってしまったのだ。

追ってきた男は一言、

「だから、言っただろ~。」













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この党のマニフェストは、玉虫色のものである。


今までに、マニフェスト通りにおこなった党はどれだけあるでしょうか・・・。



ところで、この玉虫色という言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?


これは「昆虫」と深く関係があります。


玉虫色 ⇒ タマムシ色 ⇒ 「タマムシ」の色

というものです。


そうです。


実は、「タマムシ」の「色」からできた言葉なのです。


「タマムシ」は、細長い米型の甲虫で、全体に緑色で光り輝いており、背中の部分に虹のような赤と緑の線が入っている美しい昆虫です。

この背中の部分の赤と緑がきらきらと色が変わることによって、天敵である鳥を近づけないようです。


この背中の色の変化から、

見方や状況によっては、いろいろと解釈できるあいまいな表現

のことをいいます。




また、玉虫色は、否定的な表現として使われます。


ですから、肯定的な文では使いません。


誤用例:玉虫色のお礼状だった。


ちなみに、タマムシは、主に6月~9月にエノキやサクラで飛んでいるそうです。

Wikiで「タマムシ」と打てば画像も出てきますよ!!











小話を一つ


「ゲームが少ししたい」(私)
 
「LALAを観せて。」(母)

「ドリ○、ドリ○。」(兄)

「野球がはじまるから・・・。」(父)



テレビの番組が増えて、6時頃にテレビ争奪戦がスタートしている。

結局、ちょこちょこ変えるだけで、ゲームという案はいつのまにかなくなって、玉虫色の決着で終わってしまう・・・。

もちろん、どの番組でも納得してみんな観ているのだが・・・。


ゲームは・・・




夜できるもんね!! (立ち直り)

















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